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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

「青梅街道インター」に、なぜ練馬区はこだわったのか (その3)

インター地上部を利用した「まちづくり」

当初、青梅街道インターチェンジが上石神井駅周辺の「まちづくり」に及ぼす影響はどのように考えられていたか。もう一度、この図を見てください。

凡例にもありますが、オレンジ色の区間は「開削ボックス」。つまり、地上から掘り進みながらインターチェンジの構造物を設置していく部分です。黄色の区間は「開削ボックス(埋め戻し部)」。これは、オレンジの部分と同様、地上から掘り返しながらインターチェンジの構造物を入れていくのですが、一定の深さがあるので造ったあとは埋め戻しをするという区間です。最終的には道路構造物は地上からは見えなくなりますし、上部利用が可能になります。そして、緑色が「シールドトンネル」部。こちらは地上はそのままにして末端の立坑からトンネルで地下を掘り進む部分になります。原則として、地上はそのまま。ただ、シールドトンネルの深さによっては区分地上権が発生し、金銭補償の対象となります。

図面を見ると、オレンジの開削区間は青梅街道と千川通りの中間あたりまでになっていますが、その先の黄色の区間、つまり開削埋め戻し区間は千川通りを超えて北に延び、上石神井駅のすぐ近くまで続いています。インターチェンジを造ろうと思えば、駅近くまで掘り返すことになる。掘り返せば、当然、周辺の道路付けも変わってくる。埋め戻した後には少なくとも都市計画で定めた40m幅の地上空間が生まれる。ここに道路を整備し、それを梃子にまちの形を変えていく…。まさに区や自民党の皆さんが言う「まちづくり」です。
しばざき議員が一般質問で
「この外環の計画線が上石神井商店街のほぼ中央を通過する計画であり、上石神井北側はシールド工法で、南側は開削で行うとのお示しがありました。このことは青梅街道インターチェンジに起因するのですが、駅周辺のまちづくりには大きな影響があります。」
と言っていることの意味は、ここにあります。千川通りから上石神井駅までの間が開削になることを前提にしていたからこそ、「インターチェンジを設置する構造での地上部の利用を考慮した外環との一体的な整備」(志村区長)という答弁が出てきたのです。

この時点では、西武新宿線の立体化の動きは遅々としていました。というよりも、外環の行方が定まらない限り、新宿線の立体化も動きようがないという状況だったというべきかもしれません。新宿線の立体化に向けた動きが始まるのは、外環を地下に入れるという都市計画変更案が公表された翌年、2004年のことになります。この年、東京都は新宿線の井荻~東伏見間を鉄道立体化の検討対象区間に抽出しました。練馬区や区議会与党は、インターを梃子に上石神井駅周辺を動かすことが、新宿線の立体化にもつながっていくという”戦略”を描いていたに違いありません。

開削工事は千川通りまでに

ところが、事態は、この”戦略”通りにはどうも進まなかったようです。千川通り北側まで開削でインターを整備するという大前提が、途中から消えてしまったからです。
次の図は、2005年10月に公表された外環道の『計画概念図』の一部です。地下化を基本とした都市計画変更の詳細を示した図面、といった位置付けのものです。上の図とは表記の仕方が違うのでわかりにくいかもしれませんが、黄色と緑の部分が開削と開削・埋め戻しの区間です。そして、紫とオレンジの部分はシールド工事の区間になります。ご覧の通り、開削エリアは千川通りで止まっています。

この二つの図面の違いは、大規模な道路事業にとってはほとんど詳細設計レベルの変更でしょう。しかし、練馬区長や自民党の皆さんが強く、強くこだわってきた上石神井駅周辺の「まちづくり」との一体的な展開という視点からすれば、とても大きな意味を持つ変更であったはずです。
当時の資料をいろいろ漁ってみても、どの段階で、どういう理由でこの変更が入ったのか、詳細は確認できませんでした。ただ、2005年1月に開催された第1回の東京外かく環状道路の計画に関する技術専門委員会の資料では、これと同様の図面が提出されています。また、それに先立って練馬区が行った内部的な委託調査の中では、すでに開削区間は千川通りまでとして取り扱われています。2004年から2005年にかけて、インターの詳細を精査していく過程で、開削区間が千川通りまでに縮小されたのではないかと思われます。

いずれにしても、都市計画決定からその後の事業化に至る経過の中では、もはや「上石神井北側はシールド工法で、南側は開削」という説明が聞かれることはありませんでした。しかし、もしそうだとすると、いったい練馬区があれだけインターにこだわったのは何だったのか? インターがあってもなくても、千川通りから北側では、地上は動かないのです。

実は、これと同じ時期、練馬区や区議会与党の関心は外環の青梅街道インターチェンジではなく、外環の地上部街路=「外環の2」に大きくシフトしていきます。外環本線の構造がほぼ固まった2005年は、実は東京都が『外環の地上部の街路について』を公表、外環の2の議論が一気に動き出した年でもあります。
もちろん、この段階では、外環の2については都市計画の「廃止」も選択肢の一つであるとされていました。そして「東京都では、…高速道路の外環を地下化した場合の地上部の取扱いについて、今後、皆さんの意見を聴きながら具体的な検討を進めてまいります」ともされていました。しかし、東京都が外環の2を造ろうとして動き出したことはだれの目にも明らかでした。そしてその後、紆余曲折はありましたが、2014年11月、幅員を40mから22mに縮小したうえで外環の2を整備するという都市計画決定がなされます。全長9kmの外環の2の中で、都市計画を変更し事業化に向けて動き出したのは練馬区の区間だけでした。

実は、練馬区長の”反乱”を受けて国と都が取りまとめた『東京外かく環状道路(関越道~東名高速間)に関する方針について』(2003.3.14)には、こんなことも書かれていたのです。

○ 地元において地上部整備の方向が定まった場合、大深度区間であっても、地元の意向を踏まえながら、その整備を支援していくものとする。なお、青梅街道から目白通りについては、地元の意向を踏まえながら、地上部街路の設置を検討する。

練馬区は、当初から青梅街道インターと並んで外環の2についてもその整備を強く求めていました。そして、この時点ですでに都と区は、いずれは外環の2を動かすことで了解をしあっていたのかもしれません。
もちろん、それは目白通りから青梅街道まで、つまり決して上石神井駅周辺だけを念頭に置いたものではありませんでした。それに、そもそも外環の2は外環本線と切り離し外環本線の整理がついたのちに検討するということが国・都の基本方針でしたから、少なくとも当初は外環の2ではなく青梅街道インターの有無、是非が大きな焦点とならざるを得なかったのです。
しかし、青梅街道インターは少なくとも上石神井の「まちづくり」の梃子とはなりそうもなくなりました。そして、その代わりに一気に浮上したのが外環の2だったのです。以来、練馬区も区議会与党も、外環の2を押し通すために執念を燃やします。

切り捨てられたインター予定地域

外環の2は、練馬区内に限って都市計画の整理を終え、2014年12月に都市計画変更が決まります。そして、2018年12月、外環の2の新青梅街道~千川通り区間、つまり上石神井駅周辺が事業認可されます。この間、約20年。論点は移り、枠組みは変わりましたが、しかし何一つ変わっていないことが一つだけあります。それは、「まちづくり」を大規模な道路事業を梃子として進める、道路事業の副産物として考えるという練馬区の発想、姿勢、価値観です。

それはさておき、青梅街道インターチェンジと一体のものとして始まった上石神井駅周辺「まちづくり」は、インターではなく、外環の2を梃子とした事業として進められることになりました。

しかし、もしそうだとすると、青梅街道インターはいらないのでは???

何しろ「インターチェンジの有無に関わらず、交通改善効果は同程度の効果が期待される」(沿線区市長意見交換会(第2回))というのが、少なくとも国としては当初からの一貫した認識でした。それでも区があえて青梅街道インターにこだわった最大の理由は、間違いなくインターがあれば外環の地上部整備と「まちづくり」を一体的に進められると見越していたからでしたが、その「一体的な整備」が非現実的となった以上、区として青梅街道インターにこだわる最大の理由は消えたということになるはずです。

もともとひどい話でした。千川通りから北をきれいにするために——というのも、ここは開削しても埋め戻しで地上に高速道路の構造物は残らないから――千川通りから南側、つまり関町南1丁目の一帯をインターや換気所などの道路構造物でズタズタにしようというのですから。インター予定地は、上石神井駅周辺の「まちづくり」のために、いわば切り捨てられようとしてきたのです。
この連載の入り口で触れたBS-TBSの番組では、インター予定地の住民が「自分たちは(インターに反対した)杉並区に編入してもらいたいくらいだ」と言っていました。それは、練馬区によって切り捨てられようとした人たちの、ぎりぎりの、誇りをかけた抵抗の言葉だったのだと思います。

青梅街道インターの、それもハーフ・インターの道路交通上の効果はごく限られたものであり、費用や工期という点からはとても割に合わないものであると、国はずっと、ただし小声で口にしてきました。工事が遅れに遅れ、インターの地中拡幅部の工事にどれほど巨大な費用が必要になるか想像もつかなくなっている今、国はきっとその思いを強くしているはずです。

幅22mもある外環の2を核として進む「まちづくり」が本当に地域にとって好ましいものかどうかは議論があるところですが、少なくとも、もはや青梅街道インターがあろうがなかろうが、上石神井の「まちづくり」は確実に動いていくはずです。
だったら、練馬区長さん、そして区議会与党の皆さん、原点に返って「青梅街道インターはなくてもいい」と言いませんか? 一つの町を切り捨てようとしてきたことへの、せめてもの罪滅ぼしとして。

(完)

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