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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

「青梅街道インター」に、なぜ練馬区はこだわったのか (その2)

練馬区の意向こそがカギだった

「青梅街道インターは、練馬区が要求したから計画に盛り込まれた」——こういう指摘に対して、今、練馬区はこう“反論”します。

◎技監 私から、青梅街道インターチェンジについてお答えします。
 外環は、首都圏全体のネットワークを形成するとともに、都心部における渋滞や環状八号線などの混雑の緩和、移動時間の短縮に資する重要な道路です。
 青梅街道インターチェンジは、大泉インターチェンジ付近の混雑緩和や生活道路への車両の流入を抑制するなど、区内の交通問題の解決にも資するものです。
 外環の計画は、都が東京都都市計画審議会の議を経て都市計画を、国が国土開発幹線自動車道建設会議の議を経て整備計画を決定したものであり、練馬区や杉並区の意向だけをもってインターチェンジの設置や構造が決定したものとは考えていません。
2018.12.05 本会議

BS-TBSの『噂の! 東京マガジン』の取材に対しても、区がこれと同一の見解を繰り返していることが紹介されています。
しかし、前回、詳しく見た経過を振り返れば、こうした区の見解が責任逃れ、言いつくろいでしかないことは明らかです。青梅街道インターが一定の、限定的な道路交通上の効果をもたらすことは確かでしょう。しかし、肝心なのは、この効果がごく限られたものであって、だからこそ少なくとも当初はインターなしでも外環道整備の効果は基本的には果されると国と都は考えたということです。そして、国が地元の意向を問いかけ、それに対して練馬区が青梅街道インターの必要性を主張した、しかももしインターが認められなければ外環道事業自体に反対するという脅しまがいのやり方で主張したという事実がなければ、国も都も自ら青梅街道インターを設置するとは言わなかったということです。
「練馬区の意向だけ」で国や都が青梅街道インターを受け入れたわけではないのは、その通りかもしれません。しかし、練馬区の意向抜きでは、同インターは決して日の目を見なかったことも確かなのです。

上石神井駅周辺「まちづくり」とインターチェンジ

では、なぜ練馬区はそれほどまでに青梅街道インターチェンジにこだわったのか?

カギは、上石神井駅周辺の「まちづくり」です。この点は『噂の! 東京マガジン』もフォーカスしてはいたのですが、しかし、インターと駅周辺のまちづくりがなぜ、どうして関連してくるのかはあいまいでした。そのあたりを深掘りしてみます。

2001年4月、国と都は『東京外かく環状道路(関越道~東名高速)の計画のたたき台』を公表し、外環の事業化に向けた本格的な動きを開始します。この『たたき台』の地域説明会が開催されたのを受けて、区議会でも踏み込んだ議論が始まります。主として取り上げたのは、新宿線沿線を地元とする自民党の区議会議員でした。2001年9月25日、本会議の一般質問でのしばざき幹男議員の質疑と区長答弁からまず紹介します。

しばざき幹男 外郭環状道路の南伸については、ここにきて石原東京都知事をはじめ、扇国土交通大臣も積極的な対応をされてきております。ことしの5月、6月に外郭環状道路のたたき台の説明会が地元で行われました。この外環の計画線が上石神井商店街のほぼ中央を通過する計画であり、上石神井北側はシールド工法で、南側は開削で行うとのお示しがありました。このことは青梅街道インターチェンジに起因するのですが、駅周辺のまちづくりには大きな影響があります。したがって、地域としても具体的な計画には強い関心を抱くことも当然であり、遅くとも今年度中には上石神井地域で外環まちづくりの協議会のような組織を立ち上げていく必要も出てまいります。…
岩波区長 次に、外郭環状道路にかかわる上石神井地域のまちづくりについてでございます。
 外郭環状道路の整備を進めていく上で、上石神井駅周辺地域におけるまちづくりを考えていくことは、本体計画と相まって、極めて重要な課題であると認識をしております。このような中、地元からは協議会を設立した上で、まちづくりについて考えていきたいとの声が上がってきております。区といたしましては、このような地元からの意向を受け、今後まちづくり協議会の設立支援や調査費の確保など、まちづくりの検討を進めていくための準備に取り組んでまいりたいと考えております。2003.12.01

続けて、2003年12月、やはり同じしばざき幹男議員の一般質問です。
実は、練馬区長に「青梅街道インターがなければ本線に反対! 」とねじこまれて軌道修正したものの、国や都、とりわけ国にはなおゼロ・インターにこだわる姿勢が根強く残っていました。2003年10月、石原伸晃国土交通大臣の記者会見での発言はそのことを改めて印象付けるものでした。
会見で大臣は、こう言っています。

・ 外環の整備に当たっては 「スピード」という視点も必要である。行革大臣を行っていたときに、民間からの出向者と一緒に仕事をしたが、皆口をそろえて行政はスピード感が足りないといっていた。したがって、外環の構造の検討に当たっても 「いかに早く整備するか」ということを一つの重要な視点として織り込むべきと考えている。用地取得が絡まない大深度地下を基本としたのも、そのため。
・ 早くつくるためには、やはりゼロ・インターをベースにして、真に必要で実行可能なICがあるかどうかについて、この先、十分議論を尽くすことが必要。
・ その際、青梅街道ICは、地元でも大きな議論となっており、そのある・なしで、整備のスピードが5年以上違ってくると考えられる。
・ 私としては 「早く整備」するための一つの知恵として、当面はICをつくらないことを基本として、住民の意見を聞いていくべきと思っている。
・ これまでも、外環については、地域の意見を把握するために、周辺道路の交通量の変化、地域分断などの生活への影響、環境への影響など、さまざまな観点から、ICのある・なしを判断いただく材料を既に提供させていただいている。そんな中、私は、整備のスピードという観点から新しい問題提起をさせていただいた。東京都、練馬区長、杉並区長、そして地域に暮らしている皆様方と、その観点の重要性も踏まえて、これから精力的に議論を進めさせていただきたいと考えている。

石原国土交通大臣 定例会見発言要旨(外環関係分・速報)2003年10月31日
第27回PI外環沿線協議会資料 こちら より

国交大臣がインターに反対している杉並区の選出であることも関係していたのでしょうが、しかしそれにしても踏み込んだ、いやいや率直な発言でした。そして、この発言を念頭にこうした国の動向に危機感を募らせた区議会自民党を代表して、しばざき議員はこんなふうに区を問いただしたのです。2003年12月1日の本会議です。

 はじめに、東京外かく環状道路に関してであります。
 今回の衆議院選挙の際に、国土交通大臣の選挙公約の中で、「外環道の大泉から東名高速までの約16キロメートルは、インターチェンジをつくらない方針を固めた」との新聞報道がありました。随分大胆な石原大臣の選挙公約であると驚愕いたした次第であります。…
 上石神井駅周辺まちづくりに関しては、一昨年の12月に「上石神井駅周辺まちづくり協議会」が発足するとともに、この外環道の整備にあわせて駅周辺のまちづくりと商店街の活性化を図ろうとすることを目的とした協議会であります。したがって、青梅街道インターチェンジの設置か否かによっては、今後の本協議会の運営に関しても大きなダメージを与えてしまうのではないかと危惧するわけでありますが、ご所見をお聞かせください。
志村区長
 …次に、上石神井駅周辺まちづくりについてお答えいたします。
 上石神井駅周辺では、外環の都市計画による土地利用制限により、これまで本格的なまちづくりが行えない状況にありました。しかし、国・都による外環をめぐる動きが出てきた中で、外環の事業により地域への変化がもたらされるときが、まちづくり実施の好機であるとのことから結成されたのが、上石神井駅周辺地区まちづくり協議会であります。
 したがいまして、これまでの協議会での検討は、インターチェンジを設置する構造での地上部の利用を考慮した外環との一体的な整備を視野に入れたものであります。
 インターチェンジを設置せずに、外環本線のみの大深度地下を通過することとなった場合、外環の事業による当地区への効果は限定されたものとなることから、協議会でのまちづくり検討の機運がそがれることが懸念されるところであります。

このあたりは、青梅街道インターチェンジに練馬区が強くこだわった背景を伝える特徴的な議会論戦なのですが、改めて要点を確認しておきます。
①「上石神井北側はシールド工法で、南側は開削で行う」ことになっており、このことは青梅街道インターチェンジに起因する
②練馬区と区議会(自民党)が考える上石神井駅周辺のまちづくりは「インターチェンジを設置する構造での地上部の利用を考慮した外環との一体的な整備」を前提としたものである
③もし青梅街道インターチェンジがなくなれば、「外環の事業による当地区への効果は限定されたものとなる」

つまり、こうです。青梅街道インターができることで上石神井駅至近まで開削工事が入る。開削となれば、当然、立ち退きと埋め戻し後の地上部の整備が課題となる。もし、インターがなくなり大深度の本線だけになると、「外環の事業による当地区への効果は限定されたものとなる」。つまり、立ち退きも必要なくなり、「まちづくり」を動かすきっかけが失われる…。

こうした議論の背景を理解するためには、当時、インターチェンジと駅とがどのような関係だと考えられていたかを確認する必要があります。2003年に開催された様々な外環関連の会議の資料の中に、ヒントとなる図面が出てきます。これです。

この図は『青梅街道インターチェンジについて』という説明資料の一部なのですが、なぜ当時、練馬区と議会の一部があれほどまでに青梅街道インターにこだわったのか、この図からはっきりと読み取ることができます。  (続く)

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