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10年目の「3.11」

東日本大震災から10年。言葉にしなければ、と思います。一人の当事者としての、自分の位置を確かめるためにも。

10年前、2011年の3月11日2時46分のことをよく覚えています。あのとき、私は区議会の予算特別委員会の理事の一人として、議会の一室で理事会に参加していました。本当に長い揺れでした。テレビの速報などをもとに議会事務局が随時、情報を届けてくれます。津波や火災などのすさまじい状況が伝わってくる中で、重い衝撃をどの理事も感じていたはずですが、とりあえず会議は続き、この日は徹夜の予算審議となりました。
夜、何か食べ物をと買い出しに行っても、すでにコンビニにはほとんど商品はなく、そして目の前の目白通りは歩いて帰宅する人たちであふれています。事態の深刻さを肌で感じていくのですが、しかし、それはまだまだ序の口でした。原発の事故が続き、東京・練馬の日常も激しく揺さぶられていきます。
今思い返しても、私は、大震災、そして原発事故がいかに過酷なものであるか、いくらかでも実感を伴った予測はまったくできていませんでした。次々と突き付けられる困難、深まる危機。現地ではいかばかりなものであるかを想像する力もないまま、目の前の課題に追われる日々が続いていきます。

原発の大きな事故が起き、それがここ東京にどのように波及してくるのか、避難すべきリスクはあるのか、いやいやそれ以前に現地の危機を回避するためにやれることはないのか。そんなことを考えようにも考える足掛かりすら持てない中で、間もなく「計画停電」が始まりました。「計画」とは言っても、それを区民に周知する手立ても限られ、とりわけインターネットになじみのない人たちの不安と混乱は深刻でした。とにかく情報を伝えなければ。必死さだけは真剣な思いから出し始めたのが『つながる』という手づくりのペーパーでした。

大震災と原発の事故から1か月。4月は統一地方選が予定され、練馬も区長と区議会議員の選挙でした。私にとっては3期目の選挙。原発の頼らない暮らしを、被災者とつながる区政を。正面から訴えましたが、とても厳しい選挙になりました。社会を覆う不安や混乱は、ストレートに政治の変革に向かうものでは決してなかった。区議選での得票数を減らしたのは後にも先にもこの時だけでしたが、しかし、それもまた、いかに「3.11」が重い課題であったかを思い知らされる経験でもありました。

10年前。あのときは、私は私なりに必死でした。しかし、どう考えても甘かった、いたらなかった、やるべきことをやれなかった。痛切な教訓です。今、原発は再稼働への動きがじわじわと頭をもたげ、防災は「国土強靭化」の巨大公共事業に一面化され、そして震災と原発事故は少しずつ”過去”のこととされつつあります。「3.11」の教訓と痛切な思いは、10年たってなお、鮮烈に迫ってきます。政治に関わるものとしての、大きな宿題です。

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