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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

「外環計画」、流れを決めた2003年

 先日、「外環の2を考える住民の会」の会合で、杉並の古川英夫さん(外環道検討委員会)のお話を伺う機会がありました。その中で、大深度活用方式で整備することなど外環道の都市計画変更に至る流れ、とりわけインターチェンジや地上部街路の取り扱いを決めることになった2003年春の動きが触れられました。忘れてはならない経過です。少し整理して振り返っておきます。

 1970年以来長く“凍結”されていた外環計画が動き出すきっかけになったのは、1999年末、都知事が「地下化を基本として計画の具体化に取り組む」という考えをおおやけにしたことでした。これを受けて2001年4月には「東京外かく環状道路(関越道~東名高速)の計画のたたき台」が示され、この「たたき台」では、ジャンクションやインターチェンジについてはこんな記載があります。

 ジャンクションについては、外環が関越道、中央道、東名高速と交差する3箇所に設置します。
 インターチェンジについては、地域の意向や交通状況を考慮し、それぞれどのように設置するか、設置の有無を含めて検討します。

 この「たたき台」について、いわゆるPI協議会をはじめとして様々な形で検討が進められているさなか、2003年1月10日、国土交通省と東京都は連名で「東京外かく環状道路(関越道~東名高速間)に関する方針について」を発表します。そこでは、インターチェンジについてはこう触れられていました。

 また、インターチェンジについてはインターチェンジ無しを検討の基本とするが、その設置については地元の意向等を踏まえる。

     ➠「方針」全文はこちらから

 この段階では、国と都の方針は「インターチェンジ無し」というものでした。しかし、この「方針」はわずか2カ月で劇的に変わります。3月14日、国と都はまったく同じ名前の文書を記者発表します。名前は同じですが、その内容は一変していました。

○ インターチェンジについては、今後、地元の意向等を踏まえながら、設置の有無について検討する。その際、設置要望のあった青梅街道インターチェンジについては、さらに地元の意向を把握していく。その他のインターチェンジについては、ジャンクション構造の一体的活用について検討する。

     ➠3月の「方針」全文は、こちらから

 ここでは「インターチェンジ無し」という基本方針は姿を消し、設置の有無については「地元の意向等を踏まえる」と修正されました。さらに青梅街道インターについては、わざわざ「設置要望」があったことが明記されます。「地元の意向」を踏まえ、青梅街道インターは設置の方向に大きく踏み出したのです。もちろん、ここでいう「地元」はわが練馬区です。「さらに地元の意向を把握する」とは、設置の是非について真っ向から意見が分かれていた杉並区と練馬区との調整を指しているものと思われます。この調整は、最終的にはハーフインターという形で整理されることになります。
 1月から3月にかけてのこの「方針」の大きな修正で、外環道の都市計画変更の中で青梅街道インターの設置は事実上、既定の方針となりました。そして、この修正へと国と都を強く突き動かしたのは、間違いなく練馬区当局の意向でした。2月14日、当時の岩波区長は区議会本会議でこう発言しています。

 区といたしましては、従来から、周辺の環境に配慮しながら外環を早期に整備する必要があるとの立場で取り組んできたところであります。こうした中、先般、国土交通大臣ならびに東京都知事から、大深度法の活用を検討することや、インターチェンジなしを検討の基本とすることなどが提案されてまいりました。
 この提案を受けまして、去る1月15日に沿線区市長の意見交換会が開催をされました。活発な議論がなされたところであります。私は、昭和45年のいわゆる凍結宣言から長期にわたって事業が実施されなかったために取り残されている沿線のまちづくりを推進するためにも、外環の早期整備が必要であると認識をいたしておりまして、また大泉インターチェンジ周辺の交通混雑を緩和するためにも、青梅街道にインターチェンジを設置することが外環整備の絶対的な条件であることを強く主張してまいりました。

 この発言にある「沿線区市長の意見交換会」については、6月の本会議で、都市整備部長がさらに踏み込んで答弁しています。

 2点目の、外環沿線区市長意見交換会についてであります。
 区長は、さきに行われたこの意見交換会におきまして、「外環を早期に整備すること」「青梅街道にインターチェンジを設置すること」「地上部のまちづくりなどを外環計画と一体的に検討し、関連事業として支援すること」「具体化に向け、環境や交通量などの関連調査を早期に実施すること」、この4点を意見として申しております。
 区長のこの考えに基づき、今後におきましては、沿線の方々に対しては、できる限りの情報を提供するとともに、話し合いを進めてまいりたいと考えております。

 こうした練馬区当局の発言を追えば、1月から3月にかけての国・都の「方針」の大きな変更が練馬区の「意向」を踏まえ、それに押される形で進んだものであることは明らかです。しばしば指摘されてきたことですが、外環道の都市計画変更に当たって、青梅街道インターを計画に盛り込むことになった決定的な理由は、練馬区(長)の意向でした。
 さらに、この3月の「方針」で大きく変更された点がもう一つあります。それは、外環の地上部街路、いわゆる「外環の2」の取り扱いについてです。1月の段階では、「方針」は地上部街路にはまったく触れたおらず、むしろ「沿線への影響を小さくするため、地下構造で、早く・安く完成できるよう十分考慮する」といった形で、地上部街路についてはきわめて消極的ともとれる表現をしていました。ところが、3月の「方針」ではこうなのです。

 地元において地上部整備の方向が定まった場合、大深度区間であっても、地元の意向を踏まえながら、その整備を支援していくものとする。なお、青梅街道から目白通りについては、地元の意向を踏まえながら、地上部街路の設置を検討する。

 これもまた、驚きの一節、驚きの変貌です。「地元の意向」を盾に、地上部街路が一気に息
を吹き返したのです。しかも、ここでも練馬区の「意向」は突出しています。「青梅街道から目白通り」、つまり地上部街路の練馬区部分だけがわざわざ抜き出され、「設置を検討」と明記されたのです。先に紹介した6月議会での都市整備部長の答弁でも、沿線区市長会議で区長が「地上部のまちづくりなどを外環計画と一体的に検討し、関連事業として支援すること」を主張したと言っていますが、これは地上部街路の整備促進を求めたものにほかなりません。地上部街路、少なくともその練馬区部分については、道路事業としてよりもむしろ「まちづくり」のテコとして、しかも練馬区の意向に押される形で、この段階で一気に浮上し方向づけられてしまいました。
 2003年3月、それは、区長選の直前でした。岩波前区長は次の区長、つまり現・志村区長へのはなむけあるいは宿題として青梅街道インターと地上部街路を残し、引退したのです。今振り返っても、とても重い意味をもった選挙でした。

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