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中村哲さんとの別れから、3年

12月4日。中村哲さんが、銃撃で命を奪われてからちょうど3年になります。精神的にも実践的にも、文字通りかけがえのない柱であった哲さんを失って、アフガン現地にとって困難を極める3年だったはずです。干ばつは再び三たび深刻さを増し、政権の交代に伴う混乱だけでなく、世界の「制裁」は武器にも増してアフガンの人々を経済的にも社会的にも苦しめ、現地の支援活動は日常の資金の確保すらままならない状況だったのですから。
それでも、事業は続く。用水は拓かれ、水が枯れた大地をいやし、緑が少しずつよみがえる。中村哲の遺志はかくも強く人々を動かすのだと、改めて思い知った3年でもありました。支援の末端に関わってきた者の一人として、感謝の思いに堪えません。

亡くなってから3か月ののち、哲さんをしのぶたくさんの皆さんの思いを形にしようと『中村哲先生をしのぶ会』を開催しました。3年後の今、会での追悼の辞を読み直し、自分の思いと覚悟を立て直しています。

哲さんに、感謝」  2020.2.1中村哲先生をしのぶ会・悼辞

 最初に中村哲という人のことを知ったのは、2001年のことでした。9.11の「同時多発テロ」、それに続く米英などの報復爆撃…戸惑いと不安と、なんとかしなければという切羽詰まった思いと。そんな中で、講演会を開催したのは11月9日のことでした。
 忘れもしません。会場となった社会文化会館の、あの熱気を。階段も、通路も、いやステージまでも埋め尽くした人、人、人。とりわけ若い世代の必死のまなざしと強い共感の響きは、大げさではなく「歴史的」と思わせる時間でした。
 そのとき以来、私は、中村哲先生、いや哲さんのことを、深い敬意と畏れすら感じながら、支えようとしてきました。講演会を開くたびに、いつも哲さんは自嘲気味に言っていました。毎回同じような話で…と。でも、あの小柄な体と、そこからとつとつと絞り出される言葉に、私たちは間違いなく、この国と社会と人々の生き様が失ってきた大切なものをくりかえし見つけ直していたのです。「中村哲」は、たくさんの、本当にたくさんの人々にとって、すでに一つの希望でした。本人にとって、それはきっと面映ゆく、居心地の悪いことであったに違いないのですが。

 昨年11月22日、私は福岡に飛んでいました。ちょうど帰国している中村哲さんが事務局で現地報告をすると聞き、ペシャワール会の事務所を訪ねたのです。
 報告の中で、哲さんは「あと20年」と口にしました。それは、現地の事業が必ずしも順調には進んでいないことを教えていました。
 「いやいや、決してうまくいってはいない。」
 私の問いに答えて、哲さんは間髪を入れずこう答えました。地域地域、部族部族、そして村落村落で、決して同じようにはいかない。農業が定着し村が形を取り戻しても、今度は新しい対立と争いが顔を出す…そんな話が続きました。
 そして、「20年の計」に話が及ぶのです。それにしても、なお20年!
 東京に戻ってから、事務局のメンバーからこんなメールをもらいました。
 「アフガニスタンの情勢が厳しい事やPMSの自立等を考え20年継続体制をとの事で、私たちも先々の事を考えながら進めているところですが多事多難で、『その意気込みで』と個人的には考えることにしております。」
 そう、「20年」は、哲さんがアフガンの地に“骨を埋める”覚悟を決めたこととして受け止めよう。私は、そう自分に言い聞かせました。哲さんが心血を注いだアフガンの大地には緑がよみがえり、花が咲き、昆虫が戻り、蜂が蜜を集めるようになったそうです。とても質の良いハチミツが採れた。日本でも広めてみたい。ちょっと誇らしげに、哲さんはそう言っていました。うん、それならできる。よし、来年はしっかり練馬でもハチミツを売るぞ!

 この日の哲さんは、眼前の試練をまっすぐ見ながらも、しかし、いつにも増して前向きの気持ちが伝わってきました。9月、練馬での再会を約して交わした握手はとても力強く、その表情は自然で温かい笑顔、なかなか講演会では見ることのできない笑顔でした。私にも、熱は伝わったのです。確かに。
 しかし、その数日後、哲さんはアフガンに戻り、そして帰らぬ人となりました。現地ジャララバードで開かれた追悼集会では、

You lived as an Afghan and died as one too

と記された幕が掲げられていました。
 die as an Afghan それはまた、哲さん本人の望むところでもあったのかもしれません。しかし、それは今ではないし、決してこんな形であってはならなかった。返す返すも、無念です。
 偽善と欺瞞の代名詞と言われかねない政治の中に身を置く、そんな自分を矯めなおし、常に厳しい自省と自戒を迫るという意味で、中村哲という生き様は私にとってかけがえのない“道標”でした。空疎な言葉を排し、謙虚に真剣にいのちと向き合う。哲さん、約束しますね。

池尻成二(練馬区議会議員=当時)

しのぶ会の様子は、IWJが配信してくださり、現在も公開されています。事業ゆかりの方々、加藤登紀子さん、澤地久枝さんなども壇上からメッセージをささげてくださいました。よろしかったらご覧ください。→ こちら から

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