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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

「残留婦人」

 練馬には、中国から帰国した元「残留孤児」や「残留婦人」とその家族が、数多く暮らしています。私は、同歩会(中国「帰国者」・家族とともに歩む練馬の会)の一員として、それら中国「帰国者」・家族の方たちと10年来のお付き合いをさせて頂いています。なかでも、重く、激しく、すさまじいとさえ言うべき歴史を一身に背負って帰国した「残留婦人」「孤児」の方たちとの出会いは、私にとってかけがえのないものでした。

   →同歩会のホームページ

 この正月を前後して、くしくも二人の元「残留婦人」からお便りが届きました。ひとりは、Kさん。とても笑顔が明るい、こんな言い方をしては失礼でしょうが、かわいい表情をされるおばあちゃんです。便りは、中国・山東省からでした。「昨年4月ごろ、主人と共に中国に帰ってきました。…どうぞ良いチャンス築って中国にいらっしゃい、楽しみにしています」とありました。
 もうひとりは、Nさん。ご自身が「帰国者」のために粉骨砕身、尽くしてこられた尊敬すべき方です。お便りは、喪中のお知らせでした。「とうとうお迎えが来てしまいました。今年6月末から2ヶ月ほど大連に行って戻りましたが、それが突然、呆気なく他界とは信じられません」。ご主人を亡くされたという、言葉を失うお便りでした。


 KさんもNさんも、日本の国から事実上、遺棄された半世紀近い中国での生活の中で、中国人の男性と連れ合い、そしてその夫を伴って日本に帰国しました。年老いて見も知らぬ国に移り住む夫の思いはどうだったか、それでも日本に戻りたいという妻の思いはどうだったか。連れ添って帰国して、それぞれの夫婦が温かく、大切に受け入れられたならよかった。でも、そうではなかったのではないか…。
 Kさんが、なぜあえて再び中国に戻ったのか、お便りには何も触れられていません。Nさんのご主人が、日本での生活をどのように感じていたか、Nさんからも詳しく聞いたことはありません。しかし、中国「帰国者」問題が、同時に、この日本の社会が異文化、異言語、異国籍の友人をどのように受け入れられるかをためす試金石でもあったこと、そして日本の社会があまりに閉鎖的で排他的であり、今でもそうであることを、私たちはよく知っています。それこそ、KさんやNさんが、その回りでいつも悩み苦しんでいたこの日本の社会の隘路だったのですから。
 もともと日本での生活の経験もなく、日本語や日本の文化に接したこともなかったであろう二世、三世のことではありません。少なくとも幼少の年代は日本で過ごし、日本語を母語として育ったはずの元「残留婦人」たちが抱いている複雑な違和感は、私にはあまりにさびしく深刻なことだと思われてなりません。言語、文化、家族、親子のなかに“二つの祖国”を抱く中国「帰国者」たちの可能性や、豊かさや、広がりを受け止めることができない日本という国と日本人のありようは、変えられなければなりません。

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