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「自衛」とはなんだったのか? ~「集団的自衛権」閣議決定(2)~

 安倍首相が「ほとんど変わらない」という新旧の「3要件」。それを満たせば「自衛権を発動」できる、つまり自衛隊がその「実力」=軍事力を行使できるというこの3要件は、今回の閣議決定の核心です。
 それにしても、「変わらない」という説明はどう読んでも無理がある。わかりやすいところでは、第一の要件です。これまでは「わが国に対する急迫不正の侵害があること」とされていました。「急迫不正の侵害」はいわゆる“正当防衛”を構成する概念なのですが、その意味は実際に武力による攻撃を受けることであり、政府もそう説明してきました。簡単に言えば、日本の領土、領海、領空において日本の国家主権が武力によって侵害される事態になることが、「自衛権発動」の条件とされていたのです。
 ところが、新しい3要件では、こうなっています。

 我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合

 日本に対する武力攻撃が発生した場合「のみならず」、「他国に対する武力攻撃が発生」した場合でも軍事力の行使が認められるというのですから、ことの善しあしは別にしても大転換であることは間違いありません。この転換があるからこそ今回の閣議決定は「集団的自衛権」を容認するものと指摘されるのですが、安倍首相はいったいどういう意味で「変わらない」と強弁するのか。
 それはこんな理屈です。旧来の3要件も新しい3要件も、いずれも同じ前提の上に立っている。つまり「我が国の存立を全うし国民を守るため」(記者会見)のものだということである。この点では、新旧の要件は「変わらない」と。憲法9条は「集団的自衛権」、つまり他国に対する武力攻撃に対して実力を行使する権利は認めていないというこれまでの政府解釈はどうなったのか?と問われると、「日本国憲法が国民の命を守る責任を放棄せよといっているとは私には思えない」(同前)とまで言います。憲法が「国民の命を守れ」と命じているのは間違いありません。しかし、そのためにこそ戦争を放棄することが必要だというのが憲法の論理です。「国民の命を守る」ためであれば、たとえ日本自体が武力攻撃を受けていなくても、たとえそれが他国の戦争であっても、自衛隊の出動は認められるのだ、9条もその趣旨であればいかようにも解釈できるしすべきだ――こういう安倍首相の言いはあまりに乱暴です。
 少々脱線しました。3要件に戻りましょう。確かに、新しい3要件の第1項は、「他国に対する武力攻撃」であればどんな場合でも自衛隊が出動するとは書いていません。そこには2つの条件が付されています。すなわち
①その他国が「わが国と密接な関係にある」国であること
②その他国に対する武力攻撃によって「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」こと
 この2つの条件、とくに②が「憲法上の明確な歯止め」になっている、と安倍首相は言います。しかし、「密接な関係にある他国」については、「同盟関係にある米国」のことは明示されていますが、それ以外に具体的にどういう関係を想定しどんな国が該当するのかはまったくあいまいです。 ②の「明白な危険」も、とてもあいまいで抽象的な表現です。いったい、だれが、何を基準に、どうやって判断するのか? とても「明確な歯止め」とは言い難い。
 そもそも、日本への武力攻撃ではない他国への攻撃が日本の「存立」や「国民の権利の根底」を覆すとは、どういう事態を想定しているのでしょうか? 実は、ここには「自衛」の概念の大きな修正、いやすり替えが入り込んでいます。(続く)

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