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池尻成二事務所 〒178-0063 練馬区東大泉5-6-9 03-5933-0108 ikesan.office@gmail.com

「父兄」

 30年近く政治や社会問題に首を突っ込んできましたが、最近、ひしひしと感ずることがあります。それは、男女平等、あるいは女性差別に対する社会の感性です。

 ひとつ例を挙げると、「父兄」という言葉。いうまでもなく「父」や「兄」。「母」や「姉」でもなく、「父兄」が子どもの保護者の代表として語られるとき、そこには、間違いなく家父長制的な家族観、つまり男系の家族、とりわけ父と長兄を家長とその相続者とする家族観が現れています。言うまでもなく、戦後の日本の家族は男女の平等に基礎を置いています。あらためて書くのが恥ずかしいくらいですが…。
 だから、「父兄」は死語になったと、私は思っていました。実際、わが子がお世話になった保育園では、「父母」あるいは「保護者」という言葉が一般的でしたし、父兄参観ではなく保護者参観、父兄会ではなく保護者会、というのが当たり前でした。学校でも、いくらかあいまいでしたが、同じような空気はありました。
 ところが、最近、しばしばこの「父兄」という言葉を聞くのです。それも、区の理事者や区議会議員の口から。

 そういえば、最近のテレビ・コマーシャルの描く夫婦像、家庭像というものも、ずいぶんとおかしなものです。洗濯物をたたんでいるのはまず女性、家事をしているのも女性、仕事から帰宅する夫と迎える妻。まさに、男女の性別役割分業ここにきわまれり、です。一昔前なら、こんなコマーシャルは「女性差別だ!」と糾弾されたに違いないのに…。

 「父兄」に象徴される家父長的な意識と固定的な男女の役割分担は、メダルの表裏のようなものです。女性差別、あるいは「ジェンダー」に対する意識はなんでこんなに後退してしまったのでしょう。女性の社会的な役割をどう高めていくか、家庭だけでなく、社会の担い手として女性をしっかりと位置づけることが、女性の生き方としてだけでなく、これからの日本の進路を考えるうえでも大きな鍵になるはずなのに、とても残念です。
 それにしても、当の女性たちは、こうした時代の空気をどう感じているのかなぁ…?

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