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「新しい公共」

 「新しい公共」という言葉が、流行っています。「流行る」という表現はいささかネガティブな意味合いを含みますが、正直なところ、この「新しい公共」というのが何のことなのか、どうもよくわからない。どうやら区政にとってもキーワードになっているようなので、少しずつ考えてみることにします。
 インターネットで検索をかけると、本当にたくさんのリンクが出てきます。そのなかに、「新しい公共」円卓会議というのがありました。内閣府に置かれている会議で、鳩山政権誕生を機会に設置されたものです。この円卓会議が、つい先日、<「新しい公共」宣言>というのを出しています。その中には、こう書いてあります。

 人々の支え合いと活気のある社会。それをつくることに向けたさまざまな当事者の自発的な協働の場が「新しい公共」である。…これは、古くからの日本の地域や民間の中にあったが、今や失われつつある「公共」を現代にふさわしい形で再編集し、人や地域の絆を作り直すことにほかならない。

    ⇒新しい公共」円卓会議のホームページはこちら

「新しい公共」とは、「支え合いと活気のある社会」を作るための当事者たちの「協働の場」である――隣近所の助け合いも、上方落語の復活も、町会の活動も、会社や資産家たちの「社会貢献」も、あるいはPTAの人材育成も、あれもこれも、とにかく「支えあいと活気」を生むものは「新しい公共」だと、こういう説明です。よくわからない…。いったい、鳩山さんであれこの円卓会議の皆さんであれ、皆さんの言う「公共」とはなんでしょうか?
 人々が社会性を豊かにし、かかわりあいや支えあいを広げ、協力と協働の関係を育んでいくことは、大事なことだし、貴重なことです。市場と営利を基本にして作られてきた市民社会の中に、非営利で自治的なセクターが広がっていくことは、市民社会のありようそのものにとってとても大切な投げかけをはらんでいます。しかし、それらはある意味で社会や地域、あるいは家庭の基本的なありようの問題です。なぜそれを「公共」と、あえて呼ばなければならないのでしよう。社会性、市民自治、協力・協同の社会づくり…そうした言葉で語れば十分なことを、なぜ「公共」と言わせるのか…。
 この「新しい公共」、考えれば考えるほど、その中身はあいまいになり、込められた意味は多義的になり、冒頭に紹介した「宣言」の一説に至っては、もはや何でもあり、という感じです。しかし、この言葉がここまでもてはやされ、「流行っている」のにはそれなりのわけがあるはずです。(続く)

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