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福島・浪江町に行きます ~市民の声ねりま・秋の旅行~

 市民の声ねりまは、毎年、秋に旅行をしています。会員やニュース読者の皆さんの懇親も大きな目的ですが、同時に、いつも何かしらテーマを持って企画を組んできました。昨年は長野県中川村を訪ねたのですが、この場所を選んだのは、原発問題をはじめとして社会的な発言を続けている曽我逸郎村長にお会いしたかったからでもあります。

     ➡「中川村・曽我村長と」(2012/11/6)はこちらから

 今年の旅行は、9月です。行先は、福島県の浪江町。浪江町は、福島第一原発の西北、津波・地震に加え、原発事故の影響をまともに受けて住民も役場も避難を余儀なくされ、いまだに大半のエリアが「帰還困難区域」または「居住制限区域」となっているところです。その浪江を、浪江から練馬を経て今、いわきに避難している方の案内で、訪ねます。
 先日、実踏に行きました。常磐道を北上、3.11以来、行きどまりになっている広野で降りて国道6号を進み、富岡町の居住制限区域ギリギリのところまで近づいてみました。ここから、第一原発のある大熊町、そして双葉町のその先が浪江町です。
 「避難指示解除準備」ですから、除染をして町に戻るという設定なのですが、その基準は年20mSv以下。練馬も含め一般の被ばく管理の基準が1mSvという中でのこの数字です。いまだに見える民家はすべてと言ってよいほど、カーテンが引かれ、人気はありません。
 写真は、居住制限区域のゲート間近にあるJR富岡駅です。線路は寸断され鉄道は止まったままですから、「駅でした」と言うべきでしょうか。津波で洗い流され破壊された駅とその周辺は、今もそのままです。原発事故直後から「警戒区域」に入り、誰も手を付けなかった、いや付けられなかったのでしょう。それにしても、あまりに生々しい傷は2年以上も前のものとは思えません。
あたりには、破壊された家屋や自動車が撤去されることもなく、そのまま放置されていました。「3.11」の被災は、少なくとも原発事故に関する限り過去のものになっていないどころか、いまだ真っ只中です。“原発被災”の現実をしっかりと目と胸に刻みたい。そんな思いで、今年の旅行は企画しました。当日は、この富岡の駅からさらに北に進んで居住制限区域に入り、浪江町へと進みます。

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