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消えた「自発的精神」

 教育基本法の「改正」案が国会に出されました。読んでみましたが、文章としての品格がぐっと落ちたように感じるのはともかく、これはもう「改正」というよりも新しい法律の制定だと思えてなりません。同じような表現が散見され、同じような構成からなっていても、よって立つ原則や精神は原理的に転換してしまっている。
 ひとつだけ、もしかしたら象徴的かもしれない例を。現行の教育基本法の二条は、「教育の方針」として、次のようにうたっています。

第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

 ここに出てくる「自発的精神」に基づく教育という思想が、「改正」案にはありません。この第二条は教育の方法、教育に当たってとるべき姿勢を定めたとても大切な条文なのですが、その中でも子どもたちに接する際の原則がこの「自発的精神を養う」なのです。それは、戦後の教育が、子どもたちの自由な批判精神と自主的な「学ぶ」意欲に裏付けられたものであるべきことの確認であり、「子どもの権利条約」などに通ずる一連の教育観、子ども観の出発点でもありにました。
 ところが、「改正」案には、この「自発的精神」がない!かわりに、「自主及び自立の精神を養う」という表現はありますが、これは教育自体のよってたつ原則としてではなく、教育の結果として求められる資質、しかも「国を愛する心」や「公共精神」や「学校生活の規律を重んずること」などの資質のひとつとして上がっているだけなのです。
 子どもたちは、みずからの発意にもとづいて、知識と経験を--ただその広がりと研鑽だけを通じて学んでいく教育の「主体」ではなく、特定の「資質」を養成されるべき「客体」にされてしまっている…。現在の教育基本法が、学び育とうとする子どもに視点を据えたものであったのに対し、「改正」案は、子どもたちを育て導こうとする大人、社会、いや「国家」の視点から書かれています。この違いは大きく、決定的だと、私は思います。

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