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ピッチャー稲尾と西鉄ライオンズ

 いつもとは趣を変えて…

 私は、福岡生まれの福岡育ち。私の子どものころ、スポーツといえば「野球」、そして福岡といえば「西鉄ライオンズ」。子ども世界でも「巨人」が少数派という、今考えれば全国的にもあまり例のない土地柄だったんだと思います。そして私も、例に漏れず、ライオンズのファン--熱狂的なファンでした。たまにですが、平和台球場というライオンズの本拠地に試合を見に行きました。とても品のよいとは言えない、しかし人情味はいっぱいの空気が詰まった球場は、子ども心に夢のような場所でした。
 その私がライオンズの優勝を経験した最初で最後の機会が1963年。中西太が兼任の監督をし、稲尾も現役でした。最後は巨人に逆転負けして、とても悔しい思いをしたんだと思います。8歳だから、小学校の2年生か…本当に覚えているのかさえ定かでないほどのおぼろげな記憶ですが、でも強い印象を残したのは間違いありません。
 それからしばらくは、野球漬けでした。風呂に入るときも、ラジオをそばにおいて実況中継を聞きながら。でも、ライオンズ自体はこの63年が最後のピークでした。稲尾も、それ以後はたぶん肩を痛めたからでしょうか、当番もリリーフのようなことが多くなった気がします。
 その「ピッチャー・稲尾」が亡くなりました。“よき時代”を懐かしむ気分が、どうしてもぬぐえません。

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