所用で、下関市に寄りました。山口県の、したがって本州の、西の端。関門海峡をはさんで北九州市と接するこの町は、同時に、100年の歴史を刻む「関釜連絡船(フェリー)」が物語るように、アジアとりわけ朝鮮半島につながる日本の玄関の一つでもあります。室町幕府の頃から始まったという朝鮮通信使の歴史もこの下関を外しては語れませんが、その後もとくに日本の近現代史のなかで、朝鮮半島や中国との間での忘れがたくぬぐいがたい記憶の数々が、この町に刻み込まれています。
そうした歴史に通じていなくても、町のあちこちにあるハングルと中国語の表示、そして張り出されていた「朝鮮通信使」のポスターなど、なるほど下関!福岡もそうですが、アジアや「国際交流」を身近に、そしていきいきと感じさせてくれる町のこうした風景は、いいですね。
もっとも、つい先日、教育長が「朝鮮半島の植民地支配は歴史的な事実ではない」といった趣旨の発言をして大問題になったのも、実はこの下関でした。腰が定まらない日本。アジアの中で、見せる顔つきがこんなにもふらふらしていて、これからの時代を切り開いていけるのか…。
もう6年以上前に、以前のホームページにこんな文章を出したことがあります。
もう一度だけ、金子みすゞについて。
いろいろと知るにつれ、金子みすゞは相貌を変え、奥行きを増し、魅力を深める。なによりも彼女が、私が想像していたよりもずっと近く、深く、時代と社会の中にいたにちがいないということは新鮮な驚きだった。10月17日のトークタイムでいっしょにおしゃべりをしてくれたTさんは、たとえば全集の中からこんな詩を見つけ出してくれた。
木屑ひろひ
朝鮮人の子、何つむの、/げんげが咲いたの、よもぎなの。/いやいや、草は枯れてます。
朝鮮人の子、何うたふ、/朝鮮人のお唄なの。/いやいや、日本の童謡です。
朝鮮人の子、楽しげに、/こぼれ木屑をひろひます。/製材裏の原っぱで。
木屑ひろうて、束にして、/頭にのせてかへります。/小さなお小舎で、母さんと、/とろとろ赤い火を燃して、/父さんの帰りを待つために。
大陸への、そして大陸からの“玄関口”であった下関。「日清戦争」を終結させた条約が締結された町、下関。東京に並ぶ二大都市とまで言われた下関。その下関はまた、みすゞの詩の舞台でもある。そして、その町に木屑を拾う「朝鮮の子」に対するみすゞの眼差しは、澄んでいる。
下関は、金子みすゞが暮らした町です。
下関はまた、海の町。「ふく(ぐ)」は、季節外れとかで食べられませんでしたが、久しぶりの潮の香りに少し幸せな気分になりました。
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