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図書館の”奇跡” ~『The Public』を観て~

上映中の『パブリック 図書館の奇跡』を観てきました。

→映画の公式サイトは こちら

とてもよかったです。よかったので、ネタバレになるかもしれませんが、感想を書きます。


予告編を見て「面白い」仕立てかと思ったら、もちろん面白くもあったけれど、とてもシリアスな映画でした。派手なストーリー展開があるわけでもなく、大団円が仕込まれているわけでもなし。むしろ、一つ一つの言葉、一つ一つの表情、そして一つ一つの小道具にいろんなメッセージを込めた地味な仕立てなのですが、なんだかやたら泣けてくるというか…。

ホームレスが”占拠”するのは図書館でなければならなかったんだということが深く伝わるストーリー。というか、厳密に言えば彼らは「占拠」したのではなく、彼らの居場所にいた、あるいは帰ったのかもしれない。主役であるライブラリアン自身が実はかつて路上にいた、そして「図書館に救われた」人間であることによって、その感覚はいよいよ確かになります。

映画の原題は『The Public』。図書館は——図書館こそが「Public」を体現するという監督の信念が現れたタイトルかな。考えてみれば、図書館を「Public」として強く意識し、その意味を考え抜く作風や思想的な営為、現場の格闘がこの国に確かにあったとは、なかなか言い難い。だからこそ簡単に「指定管理」などに委ねられてしまうのですが、それはさておき、「Public」であるということは、単にホームレスに”屋根”を提供するということではない。そこには、すべての人に自立と再生、自由、そして何より「声を上げる」力を与えるという、深い意味での民主主義の覚醒と成熟の場だという意味が込められている。図書館こそ、そのための拠点でなければならない。すべてを失ったと見えるホームレスが、自分たちを取り戻していく、そんな人間としての原初的な再生の場こそ、図書館なのだと。そういうメッセージが込められた映画。私は、そう観ました。

ライブラリアンには刺激的で示唆的な仕掛けがたくさんあるんじゃないかな、と思います。また、異臭を放つ利用者へのクレーム対応、個人情報の管理…現場で日常的に煩悶・格闘しているかもしれないテーマも次々と。カンファレンス窓口でのなんともユニークで配慮の利いた対応など、どのライブラリアンもきっとわが身に引き写しながら見るに違いないと思います。個人的には、興味本位のテレビキャスターに主人公のライブラリアンが『怒りの葡萄』の一節をそらんじるところなど、しびれます。

日本の図書館のライブラリアンたちの中に、司書としての専門性へのこだわり以外に、ここまで『Public』を信条としている人はどれほどいるだろうか、とも考えます。もちろん、アメリカでもそうかもしれないけれど。
途中で「ウォール街だってOccupyしたじゃないか」というセリフが出てきたり、さらには一気に広がる黒人たちのシュプレヒコールなど、間違いなく格差と貧困を問うアメリカ市民の底流れ、そして昨今のBlack Lives…に連なる精神が息づいている。主人公自体が貧しい生活の中でピザのグレードを落とし、自分の室内で育てているトマトをトッピングするシーン。公共図書館の現場を預かる責任者でありながら、彼はまさに当事者なんですね、きっと。
図書館を「占拠」したホームレスたち、そして彼らと一つになったライブラリアンたちは、最後は突拍子もない姿で”降伏”し、手縄をかけられ、バスに乗せられ、しかし大きな声で”I can see clearly now!”と歌いながら移送されていきます。映画は”勝ち”も”負け”も結論を出していないけれど、でも、それは政治の仕事です。図書館ができること、やり遂げたことは、彼らが「声を上げる」機会と場所と力を提供したこと。そしてそれこそが「Public」なのだと。

それにしても、日本でこういう映画は生まれるんだろうか…と、アメリカの懐の深さがうらやましくなりました。

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