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“接戦”の意味を考える ~練馬区長選を振り返って~

練馬区長選挙が終わりました。投票、行かれましたか?

前川区長、辛勝

選挙結果はこうなりました。(投票率31.94%)
前川あきお 95,540票
吉田健一  93,397票
前川氏は自民、公明、国民民主、都民ファーストの会などが推薦。一方の吉田氏は立憲民主、共産、社民、生活者ネットなどの推薦を受け、そのほか無所属の野党系区議会議員が熱心に応援をしていましたが、前区長の前川氏が2,000票余の僅差で三選を果たしました。これで、自民党と公明党を”与党”の柱とする区政がさらに4年間、続くことになります。

区長選のこの結果を、どう振り返るか。両陣営も含め、様々な見方や評価があろうかと思いますが、ここでは練馬区長選の長い歴史の中で今回の選挙の持つ意味を考えてみようと思います。

「公選制」復活から50年

自治体の長といえば、住民が選挙で選ぶもの。ふつうはそう思います。ところが東京23区では、戦後の一時期を除いて、区長は都知事の同意を得て区議会が選任する仕組みが続いてきました。都知事の意向に反することは何もできない。区長すら選べない――23区は都の内部団体とされ、自治体として認められていなかったと言っても良いでしょう。自治の確立を求める長いたたかいを経て、区長の公選制、つまり区長を区民が直接、選挙で選ぶ仕組みが復活したのは1975年です。
公選制で選ばれた最初の区長は田畑健介氏でした。田畑区政は、当初は当時の社会党や共産党などが推す”革新”区政でしたが、1975年には対立候補を立てた自民党も79年、83年は田畑区政を支持することとなり、事実上のオール与党の形で3期を重ねます。主要な政党がたもとを分かって初めて本格的な区長選挙を戦ったのは、1987年のこと。自・公などが擁立したのは区の教育長だった岩波三郎氏、社・共や市民グループなどが推したのが本尾良氏でした。私ごとですが、池尻成二の区議会初挑戦は1991年、岩波vs.本尾、二回目の対決となった区長選から、練馬の区長選にはずっと関りを持ってきました。

1987年以来の区長選の結果を表にまとめてみました。

候補者の数は毎回、ずいぶん変わっていますが、岩波さん、志村さん、前川さんと、自民党・公明党が支える区政が続いてきました。そして、当選した人(1位の候補)と次点の候補の差を見てみると、今回の区長選はかつてない僅差、接戦であったことがわかります。なぜここまでの”接戦”になったのか。

候補者「一本化」が生んだ”接戦”

上で紹介した1987年以来の区長選の結果を、少し加工してみます。次の表は、自民・公明が推す候補者と、他の政党などが推す候補者とに大きく分けて、それぞれの得票をまとめてみたものです。

「非自公」と書いていますが、実際には、それぞれの候補者の皆さんの政治的な立場や経歴を見れば、共産党、社民党、生活者ネット、民主党…、今回の区長選では吉田氏を推した皆さんにつながる方々です。そして、この表を見ると、実は自・公の候補とそれ以外の候補とでは、むしろ非自・公の方が得票合計で上回る選挙が多かったということがよくわかります。1987年以来の計10回の区長選挙で、自・公の候補の得票が非自・公の候補の得票総数を上回ったのは、1987年、2011年、2018年、そして今回の4回だけです。岩波区政の4期目となった1999年、志村区政一期目の2003年などは、非自・公の票が圧倒しています。

それにもかかわらず、なぜ自・公の候補が勝ち続けてきたのか。それは、非自・公の候補が2人、3人、ときには4人も立ってしまったからです。野党系候補の一本化は、区政転換のための最大のハードルであり、そして最短の道である。そのことは、区長選のこれまでの経験から明らかなことでした。特に、自・公の候補が現職である、つまり二期目三期目をめざすような選挙の場合は、野党系の候補が分立していてはなかなか勝てる見込みはありません。そして、今回の区長選が”接戦”となった最大の理由は、まさにこの”一本化”が実現したこと、候補者を絞り込んで自・公の現職に挑むことができたということです。

今回の区長選で、前川区政野党の皆さんは、候補者の”一本化”を何よりも大切にし、そのために尽力してきました。それはとても貴重なことであり、正しい判断でした。前川氏が退任し新人が立候補してくるのであればともかく、前川氏が立候補する以上、野党側が分立していては勝負にならないことは誰しもが感じるところでした。区政の大方向で一致できるのであれば、できる限り候補者を絞り込み、共同の土俵を作っていくことが、区政転換のためにはきわめて効果的で意義あるものだということを、この選挙ははっきりと確認させてくれました。大切な教訓です。

“一本化”だけでは区政は変わらない

しかし、候補の”一本化”は、自・公区政を転換していく必要条件ではあっても、決して十分条件ではありません。”一本化”で接戦に追い込み、あるいはたとえ区長の椅子を勝ちとることができたとしても、自・公が圧倒的な多数を占める区議会を相手にしながら区政を変えていくためには、やっぱり”一本化”だけではだめです。そこには、区民の気持ちを揺さぶるメッセージと区政転換への強く明確な意思、区民が直面する暮らしやまちの課題をいきいきと拾い出す政策の豊かさ、そしてそれらを体現し推進していく候補者の力…一言で言えば区民がみずから選挙を我がことと感じ、区政を担っていく一歩となるような、そんな選挙にすることがどうしても必要なのです。この点では、今回の区長選は大きな宿題、課題を残したと私は感じています。

野党は候補者を一本化し接戦に持ち込みましたが、“統一候補”となった吉田健一氏はもともと自民党員で、代々、自民党区議の後援会の役職を務めてきたとのこと。陣営の都議会議員の言葉を拾えば「保守出身」の人です。前川区政のどこに、なぜ反対するのか。前川区政の政策をどう評価するのか。吉田氏の話を伺う機会は何度かありましたが、残念ながら、前川区政に対する的確で明確な批判、評価の言葉を聞くことはできませんでした。
吉田氏は、前川区政に苦しむ区民の共感を受け止め、区民とともに区政を変えていく候補としてふさわしいのか。そして、吉田氏の名前が浮かび固まっていくプロセスは、オープンで公正なものであったのか。違和感を持った人は少なくありません。

政策的な争点や論点が深まらなかったこともあり、せっかく一対一の構図に持ち込めたにもかかわらず、投票率は3割をかろうじて超える数字にとどまりました。どういう候補者を、どんなプロセスで選んでいくのか。検証すべき課題が残った選挙ともなりました。
前川区政は三期目に入りますが、前川氏の独善的で強引な区政運営は各所であつれきを生んでいます。選挙での「予想外の苦戦」(前川陣営)は、同時に、前川区政が思ったほどには盤石でもなく、区民の評価を受けてもいないことを示したものでもありました。私自身も、区政に関わる一人として、また前川区政と厳しく対峙してきた者として改めて原点に立ち返り、暮らしや地域の課題と向き合っている市民の皆さんとつながりながら、区政の転換のための努力をしっかりと進めていきます。

コメント

  1. 山崎晋 より:

    数字を見た時に今の前川区政への批判が水面化で広がっているのを感じました
    石神井然り豊島園然り大泉学園も地域の声を無視して都に対して訴訟まで起きている現実を考えれば当然だと思います 池尻さんの言う通り
    次世代を担う生き生きとした施策を立てて然るべき経緯を持った方が立候補すれば変われるはずです 官僚的な高圧的区政はもう要りません