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「青梅街道インター」に、なぜ練馬区はこだわったのか

地域ぐるみの反対運動の中で

先日、BS-TBSの『噂の! 東京マガジン』で青梅街道インターチェンジの問題が取り上げられていました。外環道の関越道~東名道区間16kmに予定されているインターチェンジは3つ。中央道とつながる東八道路インター、関越道とつながる目白通りインター、そして青梅街道インターです。青梅街道インターはもともと高速道路との結合がないという意味で他の二つとはずいぶんと意味合いの違うインターなのですが、加えて杉並側の地元の強い反対で練馬側(関越方面との出入り)のみのハーフインターになるという異例の展開をたどってきました。

こうした経緯の中、青梅街道インターの地元では、20年の長きにわたって文字通り“地元を挙げて”、“町会ぐるみ”の反対運動が続いてきました。訴訟にもなっており、東京地裁で審理が続いています。先のテレビ報道は、インターに反対する住民の思いや主張にも目配りし、この問題の全体像がよくわかるものでしたが、ひとつだけ、インターと上石神井駅周辺の「まちづくり」の関連についての掘り下げが不十分な印象でした。そのあたりの補足の意味も込めて、青梅街道インターチェンジが計画化される初期の段階の経過をおさらいしてみます。

最初は「ゼロ・インター」だった

直接の関係者以外はもうほとんど知らないことですが、当初、国と都の方針はゼロ・インター、つまりインターチェンジを造らないというものでした。2003年1月10日に国・都が示した『東京外かく環状道路(関越道~東名高速間)に関する方針について』にはこう書かれています。

○基本的には、沿線への影響を小さくするため、地下構造で、早く・安く完成できるよう十分考慮する。
○検討にあたっては、
・トンネル構造については、3車線で 「たたき台」 (外径約18m )より小さくする。
・さらに、ジャンクション及びインターチェンジとの関係を考慮しながら、大深度法の活用を検討する。
・また、インターチェンジについてはインターチェンジ無しを検討の基本とするが、その設置については地元の意向等を踏まえる

「インターチェンジ無しを基本とする」。この国・都の方針は、直接はその前年2002年11月にまとめられた『東京環状道路有識者委員会提言を踏まえたものでした。『提言』の中で、有識者委員会はこう言っていました。

・今後の議論においては、移転家屋数を出来る限り少なくして、地元住民への影響を軽減化することが、もっとも重要視すべき観点である。
・したがって、今後、外環計画の議論を進めるにあたっては、インターチェンジ無し地下化案を検討の基本において、議論を進めるべきである。

➡有識者委員会の提言は こちら から

実は、1966年に都市計画決定された時点では、高架構造の外環本線は5つのインターチェンジで一般道とつながることになっていました。北から目白通り、青梅街道、東八通り、国道20号、世田谷通りです。しかし、地上への影響を回避することを最大の眼目として地下構造に転換することとした以上は、国みずからインター整備を主張するという選択肢は困難でした。インターが残れば、結局、大規模な立ち退きなどが避けられなくなるからです。
外環が40年にわたって「凍結」されてきた経緯を考えれば、「地元住民への影響を軽減化する」ことを最優先にした『提言』、そしてそれを踏まえた1月の国・都の『方針』がゼロ・インターチェンジを基本にした内容となったのはごく自然な流れのものだったと思われます。他方で、『提言』も『方針』も、地元の意向を踏まえた調整の余地を残すべしとも言っていました。そして、ここから一部の自治体や関係者の動向が大きな注目を集めていきます。中でも際だった動きをしたのが練馬区であり、練馬区長でした。

練馬区長の、異様な”反乱”

2003年1月15日、つまり国と都が「方針」を示した直後に、『東京外かく環状道路(関越道~東名高速)沿線区市長意見交換会』が開催されます。出席したのは世田谷、狛江、調布、三鷹、武蔵野、杉並、練馬の沿線7自治体の区市長。地下方式での外環整備も含め、ほとんどの首長が慎重な言い回しと実務的な注文に徹している中で、岩波三郎・練馬区長はゼロ・インター方針に強く反対してこう主張したと言います。

(2)各区市から出された意見概要
(練馬区)
・外環の整備については基本的には賛成である。
・長い間、事業化されずに計画線だけが残っているためにまちづくりが進まない。
・外環整備にあわせて、西武新宿線との立体交差化などまちづくりを進めていきたい。
・大泉周辺は、関越及び外環の端末となっており、住宅地に車が入り込んで渋滞して困っている。
・青梅街道にインターチェンジをつくらないのであれば外環の整備に反対する。

➡東京外かく環状道路沿線区市長意見交換会(第2回)概要メモは こちら から

青梅街道インターチェンジを造らないのなら、外環の整備自体に反対する…インターを国に受け入れさせるためとはいえ、なんとも挑発的で強引な挑戦状です。
そして、この練馬区の荒っぽい反乱に直面して、国・都はゼロ・インター方針をいとも簡単に撤回します。3月14日、国・都はあらためて『方針』を公表します。「1月10日に公表した外環の方向性について沿線自治体との意見交換等を踏まえ、別添のとおり、外環の方針を定めた。」と前書きに記されたとおり、1月5日の沿線区市意見交換会での議論、なかんづく練馬区から出された強烈な異論を踏まえたものでした。
新しい『東京外かく環状道路(関越道~東名高速間)に関する方針について』(2003.3.14)はこう書かれています。

○ インターチェンジについては、今後、地元の意向等を踏まえながら、設置の有無について検討する。その際、設置要望のあった青梅街道インターチェンジについては、さらに地元の意向を把握していく。その他のインターチェンジについては、ジャンクション構造の一体的活用について検討する。

➡『方針』全文はこちらから

「インターチェンジ無しを検討の基本とする」という文言は、消えました。もともとあった5つのインターチェンジの中で、青梅街道インターチェンジだけがわざわざ名前を挙げて言及されました。「さらに地元の要望を把握」するということで、この段階ではまだ青梅街道インターの設置にゴーサインが出たわけではありませんでしたが、流れは大きく変わりました。ジャンクションのない青梅街道インターについてわざわざここまで踏み込んで言及するのは異例なことであり、練馬区長の“力業”が功を奏したとしか言いようがありません。

ハーフ・インターで事業化へ

こうして、練馬区が強く「要望」した青梅街道インターチェンジは息を吹き返しました。実は、インターチェンジをめぐる地元自治体の意向は全体としてはむしろ消極的でした。世田谷通りインターチェンジについては、世田谷区は一貫して慎重であり、第4回の沿線区市長会議(2003.8.22)では
「世田谷通りは2車線であり、かなり混雑している。現状では世田谷通りインターチェンジの設置は難しいと考えている。」
と明言しています。また、杉並区も、青梅街道インターチェンジには一貫して消極的であり、同じ第4回で
「青梅街道インターチェンジについては、杉並区としては反対。議会も反対の意向。」
と述べています。甲州街道にインターが出来た場合は最も影響を受ける三鷹市からも、
「国道20号インターチェンジは極めて三鷹市への影響が大きい。住宅が密集しており、さらに地形上の問題もあるため開削による影響が大きく地域分断に極めて大きな影響を与えるので深刻に考えている。」
という発言がありました。
インターチェンジをめぐる沿線自治体の受け止めは極めて慎重なものであり、もともとの都市計画にあった5つのインターのうち、国道20号と世田谷通りの2ヶ所はこうした地元の意向を踏まえて消えることになります。青梅街道インターについても、少なくとも杉並側には造れないこともはっきりしてきます。それでも練馬区は、全く譲りませんでした。

練馬区は「地元の意向」をインター整備の方向で取りまとめるために、あらゆる手立てを講じます。そして2005年、国と都はインターチェンジなど懸案についての方針を整理した『考え方』をまとめました。

2005.9 東京外かく環状道路(関越道~東名高速間)についての考え方
○インターチェンジ(出入口)
外環本線と同時に整備するインターチェンジについては、周辺の交通状況や利便性、地元の意向等を踏まえ、目白通り、青梅街道及び東八道路の3箇所にインターチェンジを設置し、国道20号及び世田谷通りにはインターチェンジを設置しない案とする。
・目白通りインターチェンジ(仮称):大泉ジャンクションとの一体構造
・青梅街道インターチェンジ(仮称):練馬区内に関越道方向へ出入り可能な構造
・東八道路インターチェンジ(仮称):中央ジャンクション(仮称)との一体構造
(中央道への乗り降り可能な構造)

以後、環境アセスメントや各沿線地域での「課題検討会」などの手続きを経て、2007年、外環道の都市計画が正式に変更されます。

青梅街道インターに対する練馬区のこだわり、執着は異様でした。インター整備が地元にどのような影響をもたらすかを真摯に考えようという姿勢が、少なくとも練馬区には決定的に欠けていました。そして、地元無視、インター絶対化を基本としたこの時の区の対応とそれを受けた国・都の方針転換が、その後の練馬区における外環問題の出口のない混迷と地域の困難を決定づけたのです。

それにしても、なぜ練馬区はここまで執拗に、かつ強硬に青梅街道インターチェンジにこだわったのでしょうか。 (つづく)

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