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「洗練」求める“前川イズム” ~点検・前川『アクションプラン』(番外編)~

『アクションプラン』をはじめとした前川区政の施策は、区長の思想、発想と深く結びついています。仮にそれを”前川イズム”と呼ぶとしましょう。”前川イズム”を伝える発言は、実は議会内でもいろいろありますが、美術館の改築計画と関連してこんなことも言っています。秋元美術館長との対談での発言です。

区政は「洗練」されていない

区長 私は練馬に37 年間住んでいますが、それは単純に練馬が大好きだからです。都心に近くてみどりが多くて農地があって、大空がある。ただ区民として不満だったのは、行政が内向きで洗練されていないところでした。
その理由のひとつは、鉄道や道路などの都市インフラの整備が遅れていたこと。74 万の区民が住む大都市にふさわしい都市インフラがあってこそ、初めて文化の花が咲くと思います。もう一つは文化そのもののインフラが物足りないこと。東京の練馬ならではの都市文化を花開かせたい。それが私の念願です。その大きな一歩が美術館の再整備です。
              ~美術館再整備基本構想(素案)より~

「洗練された行政」——区長が練馬の区政について「洗練されていない」という評価を口にするのは、公の場ではたぶんこれが初めてでしょう。しかし、とてもよくわかるセンスです。前川区政の価値観や感性の根底には、この「洗練」へのこだわりや指向、いや嗜好がいつも流れていました。都市計画道路の街路樹をえらく気に入り「みどりの軸」にまで格上げしたのも、石神井の駅前には「100m程度のビルは何本か必要ではないでしょうか」(朝日新聞2021.8.19)とまで言い切るのも、「洗練」された行政、そして「洗練」された都市への強い指向性があるからだろうと、改めて思います。

「インフラ」が文化を作る?

今、前川区長が描く「洗練」された練馬は「大都市にふさわしい都市インフラ」、「練馬ならではの都市文化」を必須アイテムとしています。そして、「大都市にふさわしい都市インフラがあってこそ、初めて文化の花が咲く」とまで、彼は言い切ります。なるほど、区長がわざわざ美術館の建て替えまで打ち出し、そして新しい立派な美術館とハリーポッターを都市計画道路でつないで見せるのも、こうした発想からなのでしょう。

しかし、「大都市にふさわしい都市インフラ」とは何でしょうか。そもそも、練馬って「大都市」だっけ。「大都市」になろうとしているんでしたっけ。むしろ「大都市・東京」のひずみと歪みに対抗しながら、道を歩んできたのではなかったっけ?
「都市インフラ」があってこそ「文化の花」が咲くというのは本当でしょうか。道路なのか、鉄道なのか、林立するタワービルなのか、はたまた光が丘のような“近代的”な団地空間なのか、区長の言う「都市インフラ」が何を差すかはあいまいではありますが、しかし、こうしたものが整っているかどうかがその街、その都市の「文化」のありようや豊かさを規定するとは、私にはとても思えません。
たしかに古来、社会の富を集中し進んだインフラを備えた大都市は、同時にたくさんの文化人や文化活動の集積地ともなってきました。しかし、人類の文化的な営為は、決して富や洗練された都市インフラゆえにではなく、ときにその対極であっても――つつましやかな市民生活の日常や都市が削り取ってきた自然とともに、あるいは広がる貧困やゆがみとのたたかいの中から、あるいはまた取り残され疲弊する農村社会の再生とともに、豊かに続いてきたのです。

「洗練」よりも、自治と共感を

練馬のこの半世紀を振り返っても、「大都市にふさわしい」どころか市民生活の基礎となるべき都市インフラさえ立ち遅れていた時期や場所においても、優れた文化や芸術活動が続けられてきました。ほんの一つの例を挙げれば、例えば練馬の文庫活動は全国にも誇れる市民発の文字文化の一つですが、それは公立図書館などない時代、それどころか下水道のような基本的な「都市インフラ」さえまだまだ立ち遅れていた中で生み出されたものでした。あるいはまた、畑地と緑に覆われた石神井の小さな駅前に生まれた文人・画家たちの世界もまた、練馬の大切な文化の歴史です。それは、「都市文化」と表現されるべきものではないかもしれません。しかし、暮らしに根差し、人々の自治的で自由な営みに支えられる文化、いわば「市民文化」ではありました。
そう、「都市文化」よりも「市民文化」。こうした「市民文化」の発展をささえるのは、まるで背伸びをするような立派な美術館よりも、市民の自発的な文化活動を支える身近な地域拠点、そしてその活動を支える人材と機会であるかもしれません。とりわけ基礎自治体は、そういう視点を持つべきです。私は練馬に暮らしてまだ40年ですが、この間、練馬の「市民文化」は少なからず沈滞し後退して来たのではないかと恐れています。

練馬区政に欠けているものは数々あると思いますが、それを「洗練」さと呼ぶとしたらあまりに一面的です。むしろ、どんどん地域の足場を切り捨て、暮らしと現場への共感を後退させ、自治を支えぬく気概と力を失ってきていることの方が私にははるかに気になります。自治と共感。それはまた、文化を支える行政の理念でもあるのではないか。少なくとも「大都市にふさわしい都市インフラ」を大上段にふりかざし、巨費を飲み込むであろう「美術館の改築」を文化施策の第一歩に掲げるような区政は、練馬にはふさわしいとは思えません。

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