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「関東大震災」のこと

今日は石神井地区祭の日だったのですが、あいにくの雨で順延に。準備のお手伝いをと思って早起きしていたので、更新が滞っていたブログの記事を書く時間ができました。
昨日9月1日、1923年の関東大震災から94年になりました。私はもともと九州・福岡の生まれ。関東大震災はかすかに歴史の教科書で知った程度でしたが、東京に来て、この地の歴史と社会の中に残る深く鋭い記憶に接することが多くなりました。そんな中、ずっと訪ねたいと思っていた場所、両国の都立横網町公園に行くことができました。
かつて陸軍被服廠があったこの公園は、関東大震災の犠牲者を慰霊する象徴的な空間でもあります。
「都立横網町公園は慰霊の公園です。
大正11年(1922)東京市は、陸軍被服廠の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていましたが、その最中に発生したのが関東大震災(大正12年9月1日)でした。周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、この地に続々と集まったのです。
しかし、この地にも強風にあおられた炎が四方から迫り、その火の粉が家財道具などに燃え移りました。激しい炎は巨大な炎の竜巻、火災旋風を巻き起こし、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われたのです。」
                (東京都慰霊協会 横網町公園管理所のHpより)
公園には、慰霊や祈念のための様々なモニュメントや施設があります。その一つ、復興記念館にも入ってみました。

1931年に建てられたという、風格のある建物。被災の状況や当時の市民の姿などを伝える展示は、とても興味深いものでした。あの時も、火災だけでなく大きな津波も起きていたこと。大震災から得られたまちづくりの教訓。復興に取り組む庶民の姿。そして、震災の中で起きた朝鮮出身の人々などに対する虐殺事件のこと…。
展示の中には、「有りもせぬことを言い触らすと処罰されます」という警視庁の通知もありました。たくさんの朝鮮人、さらには社会主義者などが、「流言飛語」に惑わされた人々などによって命を奪われた事実は、私たち都民が直視することを忘れてはならない歴史です。

大震災のあった9月1日の記者会見で、小池都知事が「虐殺」が起きていたことそれ自体をすら率直に認めようとしなかったのには大変驚きました。虚心に歴史に向き合うことは、今に生きる経験に豊かに学ぶための大切な原点であると、私は思います。

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